日経新聞に、三浦知良さんのコラムが書かれていました。僕はこの人のコラムが大好きで、今でも現役のサッカー選手であることが、僕自身へ戒めや励みになっています。イチロー選手の殿堂入りされたことに対して、どれほど努力されていたかについてコメントされています。人は得てして輝かしい面だけしか見ないですが、見えない部分の愚直な努力の積み重ねがあってこそ大成するのですね!一部抜粋して転記します。
毎日毎日、自分を律し、雑音も一切シャットアウトして自分がやるべきことをやる。日本でも米大リーグでの19年間も、気が遠くなるほどずっと。
プロ野球の試合なら3時間ほど、サッカーの試合であれば90分ほど。アスリートが光を浴びる舞台は一見、華やかにみえて、「見せている時間」はほんの一瞬でしかない。その裏側で何百時間、何年もの隠れた陰の時間がささげられている。
人目に付かぬバックヤードで、するべきルーティン、練習、生活に向き合い続ける。自分に甘くなり、妥協しがちなのが人の常なのに、「そこまでやるの」という努力を惜しまない。変態という言葉がしっくりくる。
僕はポケットサイズの小さなノートに、練習前後の体重を逐一書き付けている。最近は血圧の値まで、びっしり書き込むようになった。記録しているからいい結果が出る、勝てるなどと直結するものではない。でも続けていれば「あ、ちょっと体重が増えたな」といった変化にも気づく。自分を知り、律することに気持ちが向かう。小さな積み重ねの効能とは、そんなこと。
結果を出せている順風の時ならば、決め事もすんなり続けやすい。これが試合に負けるなどうまくいかない時でも同じように打ち込めとなると、結構きついんだ。これで大丈夫なのか、と疑念が頭をもたげる。「まあいいか」と緩めたくなる。ビールでも一杯、飲みたくなるんです。
そうした「ちょっと」、周りの基準なら「そこまで耐えなくても」と思われそうなところを、イチローさんは我慢できる。ヒット1本、盗塁1つ、外野からの送球1つ、それら小さな1つのために膨大な物事を律していける。
イチローさんがしてきたことをなぞって実践すれば、イチローさんと同じ到達点へたどり着けるかといえば、そうはいかないよね。けれども、それをやらないならイチローさんにはなれそうもない、というのも事実。
サッカーチームが団結し、規律も順守し、勝利のために努力を尽くした。だからといって勝てるとは言い切れず、勝てる保証にはならない。でも、それらをやらなければおそらくは勝てない。
勝つために必要なことは存在する。手法やマニュアルもあるかもしれない。ただしそれで必ず勝てるというものではない。だとしても、やり出さなければ勝てもせず、目標へのスタートラインにも立てないことをイチローさんは知っている。だから結果に見放されたようなときでも一貫してやり続ける。
より効果的で効率的な働き方を社会が要請する時代になった。就労の倫理は戦後復興期やその後の高度成長期とは大きく変わっている。一方で、世界有数の実業家の一人であるイーロン・マスク氏はあるインタビューで起業家へこう助言している。
"Just work like hell. Put in 80-100 hours every week."
人工知能(AI)があらゆる面倒なことを肩代わりしてくれそうな現代において、「死に物狂いで働き、人一倍努力せよ」と、成功を収めた第一人者が説く。確かにイチローさんも人一倍、信じがたいほどハードワークしている。
間違った努力はすべきじゃない。ただし努力が間違っているかどうかも、やらなければ判別しづらく、努力と労力を費やしてこそ分かることもある。そうした繰り返しでイチローさんたちはイチローさんたちの現在地にいる。小さな積み重ねが、継続の力で、とてつもない変化をもたらす。
特異だから、批判も招く。ヒット1本にかけるイチローさんの情熱が「個人プレーに傾きすぎでは」と誤解されたこともあった。それでも、ぶれずにやる。
当然とされることに従わず、おきてを破るかのように見なされ、仮に嫌われ役となったとしても、チームや勝利のためになることならば言葉に発し行動へ移す。そうした存在もいないとグループはダメになる。「異物」の彼らの方がむしろ、チームのこと、野球やサッカーのこと、社会のことをより突き詰めて考えているのではと感じることもある。
やっぱり、トップに立つ人は変態の域にある覚悟を携えているんだと思います。